ストーリー

[ストーリー第2話] 勇者の記憶 (1)

オレは自分が勇者だったときのことを思い出していた。

オレが勇者?

そうだ。勇者だったんだオレは。

別に頭がおかしくなったわけではない。オレの身に、本当におこった話だ。

あまり思い出したくもない記憶だが、コロネとクオンの顔を見て、いやでも記憶が蘇ってきてしまった。

あれは15年前のことだ。

高校に入学したばかりのオレは、部活を終え学校からの帰り道を急いでいた。すでにあたりは暗く、足元はよく見えていなかったと思う。

マンホールがあった。

毎日通る道の、毎日見かけるマンホールだ。

なにも気にするところなどない。

いつも通り、マンホールの上を歩いて過ぎようとした。

ところが、その日に限ってマンホールの蓋がなかった。いや、あったはずの蓋が、突如消えた。

オレは落ちた。

これは死ぬ、と思った。

「死ぬ」と思ったのだが、それは一向にやってこない。ただひたすら落ちていくばかりだった。目の前は真っ暗で、重力にただ、ただ引っ張られている感覚だけがあった。

10分くらいは落ちていただろうか。もしかしたら1分か10秒か、あるいは1秒だったのかもしれない。正確な時間はよくわからない。

死を目前にした人間は時間感覚がおかしくなるというから、おそらくそれだろう。

「このまま永久に落ちていくのだろうか?」と思い始めたころだった。

ふわり、と身体が何かにやさしく受け止められるような感覚があった。

落下が止まって、床らしきものに静かに尻餅をついた。固くて冷たい感触が尻を通して伝わってくる。

おぼつかない意識で周りを見渡すと、目に入ってきたのはひたすらに青く暗い世界。
床以外にはなにも存在しない。目が捉えるべき対象物がまったく欠けている。かろうじてわずかばかりの太陽の光が届く、深い海の中のようだった。

オレは助かったのだろうか?

それともこれが「死」だろうか?

自分に何が起きたのかもわからず呆然としていると、何者かの声が聞こえた。

声?
声だって?
こんなところに人間が?

イリス
イリス
あちゃー。失敗したか。

場違いなほど明るく能天気な声だった。

声のしてきた方向に顔を向けると、一人の女性が立っていた。

イリス
イリス
ごめんねえ。
魔法の実験してたらちょっとトチっちゃった。
パーフェクトな私でもたまにはミスすることがあるのね。

申し訳なさの欠けらもない顔つきで、その女性は言った。

黄金色に輝く豊かな髪に水晶のような青く透き通った瞳。きめ細かく滑らかな白い肌を、均整のとれた見事なプロポーションが一層華やかに飾りたてている。全身から光が溢れていた。「パーフェクト」であることは、見た目だけなら完全に肯定できた。

その女性は、自分で「賢者イリス」と名乗った。

イリスの説明によると、次元転移魔法の実験中に誤って開いてしまった異世界への扉に、オレがたまたま足を踏み入れてしまったらしい。

その扉を通って、オレは日本ではない別の世界へ転移した。

つまり、ここは「異世界」であり、この世界には「魔法」があるということだ。

異世界? 魔法?

信じられるか、そんなこと。

高校に入って中二病とは決別したんだ。

オレが怪訝な表情をしていると、イリスが言った。

イリス
イリス
疑っているの?
それとも頭がはっきりしないのかしら?
だったら、目を覚ましてあげる。

イリスが静かに右手をかざす。

オレの身体がゆっくりと宙に浮かびはじめる。

イリスの指先からパチッ、と音がして火花が走るのが見えた。

次の瞬間、オレの身体の中を強烈な電撃が駆け巡った。

息が止まり、叫び声をあげることすらできない。

イリス
イリス
目は覚めた?
これが魔法よ。
自分が異世界にいることが認識できたかしら?

たしかに、目は覚めた。これが現実だと認識できた。

ただし、オレが受けたショックの発生源は魔法とは限らない。電気ショックを発生する機械かもしれない。

しかし、それを口にするとさらにひどい目にあいそうだったので、オレは口を閉ざして激しくなんどもうなずいた。

異世界への転生。
最近はよくある話だ。

いや、よくあってたまるか。

認めたくないが、とにかく気がつくと、オレは異世界に転移していた。
「転生」でないのは、オレは死んでなかったからだ。

イリス
イリス
せっかくこの世界に来たんだから、勇者になって魔王でも倒していけば?
ちょうど今、リィンって国が魔王に襲われていてね。若干1名、勇者を募集中なの。
アナタを安全に元の世界に戻すのにはまだ時間がかかりそうだし、ヒマつぶしにぴったりだと思うのよね。

まだ状況が飲み込めていないオレに、イリスは唐突に提案してきた。

勇者に魔王か。

異世界ともなると、魔王ってやっぱりいるんだな。魔法があれば、魔王もいるし、それなら勇者もいるってことなのか。

それにしても、観光感覚でヒマつぶしに魔王を倒していけとは何事だ。

魔王というからにはめちゃくちゃ強いんだろう。

オレも当時はたいがい中二病を患っていたが、恩も義理もない異世界の国に命を差し出すほどの正義感は持ち合わせちゃいない。

勇者になって魔王と戦うなんて、冗談ではない。

オレはイリスに「今すぐ日本に戻してくれ」と言った。

イリス
イリス
頭が鈍いの?
時間がかかる、って言ったでしょう。

イリス
イリス
あなたのいた世界に転移の扉が開いたのはたまたまなの。
次元転移魔法は研究中でね、同じ世界の同じ場所に扉を開くのはまだ難しいのよ。
帰る扉を開いてもいいけど、同じ世界に扉が開く可能性は0.02%くらいね。出現位置も細かくは指定できない。元の世界に戻ってみたら、身体は海の中、はるか空の上、あるいは石の中って可能性も捨てきれないわね。
それでも帰りたいならやってあげるけど?

絶対に、ノウ。

当時オレがはまっていたMMO RPGのレアアイテムのドロップ率が確かそれくらいだった。0.02%は5000回に1回。それを一発で引け、と。絶望的な確率だ。
しかも、幸運にも1発でそれを引いたとしても、そこからさらに恐ろしい抽選がある。石の中に転移するのはゲームだけで十分だ。

イリスの次元転移魔法が完成するまで、この世界で生きていくしかないことがわかった。

でもそれってどれくらいかかるの?

イリス
イリス
それがわかれば苦労はしない。

イリス
イリス
ま、神のごとき天才の私がやることだから、あなたが魔王を倒してるころには完成してるんじゃない?
で、勇者になるの?
魔王退治、やるのやらないの?
今決めたら、特別にすごい力を授けてあげるけど。

今決めろ?

あまりに性急だ。

なんでそんなに契約を急ぐの?

これって詐欺の手口じゃないの?

どう考えてもワナだろう。

オレが疑って黙りこくっていると、イリスがイライラした様子で口を出してきた。

イリス
イリス
私も忙しいんだけど。
早く決めて欲しいんだけど!

そんなもん今すぐ決められるか!

判断するための情報が足りなすぎるわ!

だいたいお前がミスってオレを異世界に転移させたんだろうが!

責任とれ!

と言いたかったが、口に出したらひどいことになりそうだったので黙っていた。

イリス
イリス
じゃあ、こうしましょう。

イリス
イリス
今から10、カウントダウンします。
1カウントするたび、アナタが得られる勇者としての特典がグレードダウンしていきます。

イリス
イリス
理解できたわね?

は? どういうことだ?
理解できません。

イリス
イリス
じゃあ、いくわよ。

うろたえるオレを黙殺して賢者は冷酷にカウントダウンを始めた。

イリス
イリス
10。

えっ?

イリス
イリス
9。

えっ、えっ、えっ?

イリス
イリス
8。

ちょ、ちょっと待て!

イリス
イリス
7。

「やります。」

オレは思わず口走っていた。

数字がだんだんと減っていくのが恐ろしく、まるで死へのカウントダウンに聞こえた。その恐怖に耐えられなかった。

カウントダウンが止まり、イリスがニッコリと微笑んだ。

勇者をやると言ってしまった判断が正解だったのかハズレだったのか、今でもよくわからない。

イリス
イリス
カウント7か。
まあまあね。

イリス
イリス
それではカウント7の勇者特典を発表しまーす。

イリスが満面の笑顔を見せる。

その笑顔はまばゆく光り輝いているが、氷のように冷たかった。

イリス
イリス
パンパカパーン♪
アナタの勇者特典は「絶対逃走成功」
パーティーメンバーを含め、戦っている敵からの逃走が100%成功するスキルよ。

逃走成功率100%、か。
初見の敵と戦うときにはありがたいスキルだ。
序盤からちょっと無理して遠出できるよね。
昔、敵から逃げまくってレベル1で王子と王女を仲間にするプレイとかやったわ。

いや、違う。そうじゃない。

状況が飲み込めない。

絶対逃走成功?

語呂が微妙に悪い。

それでどうやって魔王を倒せというんだろう。
って言うか、勇者のメインスキルが逃走って、それ勇者なのか?

イリス
イリス
ちなみに、カウント10だったら「絶対物理防御&絶対魔法防御セット」でした。
あー、すぐ決めてたら無敵に近い力が手に入ったのになー。
残念。惜しかった。

イリス
イリス
ま、絶対逃走成功もうまく使えばなんとかなるんじゃないかしら。
なんとかとスキルは使いようだから。

イリス
イリス
なお、魔王からは当然逃げられないのでそのつもりで。

あー、やっぱり魔王からは逃げられないのか。そんなの常識だよね。

いや、違う。そうじゃない。

イリス
イリス
じゃ、健闘を祈るわ。
魔王を倒したらまたここにきなさい。
そのとき次元転移魔法が完成してたら帰らせてあげる。
魔王討伐完了以外の条件での日本帰還は認めないので悪しからず。

イリスはもう一切、オレに口を挟ませるつもりがないらしい。

一方的にまくし立てて、一方的に話を打ち切ると、右手を静かにかかげた。

さっきの電撃を思い出し、思わず身がすくむ。

しかし、かかげられた右手から放たれたのは電撃ではなかった。

イリスの右手に白い光が集まり、目を開けていられないほどに強烈な光を放つ。集まった光が一気に解き放たれる。

光が空間に満ち、やがて巨大な渦となってオレを包みこんだ。

イリス
イリス
じゃね。
私の予想を裏切ってくれることを祈ってるわ。

イリスが笑顔で手を振っているのがかすかに見える。

光がどんどん強くなる。何も見えない。何も聞こえない。

転移魔法が発動したようだった。

次の瞬間、オレは小さな城の前にいた。

後で知ったことだが、「リィン」という名の、小さな国の王宮だった。

この日から5年の間に、オレは少なくとも100回は死にかけた。

あのクソ賢者、覚えてやがれ。